2011年8月アーカイブ

ミッション142号

ミッション142号Contents
 

もっと知りたいMDGs「目標3・ジェンダーの平等推進と女性の地位向上」
                                カンボジア・女性自立センター・・・・・・・濵田麻里

東ティモールからの手紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 渡邉怜子

◆カンボジアからの手紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 林愛子

◆2011年度派遣候補者フィリピン長期研修へ・・・・・・・・・・ 事務局

◆~食べて!広めて!~ お買いもの応援団のご案内・・・・・・・ 事務局

◆JLMM活動報告& 2012 年度派遣候補者募集説明会のご案内 ・・事務局

カンボジア・クナ・トゥマイ「女性自立センター」

東京教区松原教会 濵田麻里

-MDGs実現のために-
 今回のレポートはMDGsが目標の一つとして掲げている『ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上』について、私の活動を通して書いていきたいと思います。
 私が活動している女性自立センターでは人身売買やドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)、性的搾取の被害を受けた女性たちを保護し、人生の再出発を支援しています。一時的避難所としてのシェルターの他に、自立支援に向けた裁縫訓練コースの職業訓練があります。入居している女性は様々なケースを理由にやってきます。恋人に妊娠したと告げると逃げられ一人で出産した女性や、義父からの性的暴力、家政婦として働いていた家の大家からの暴力、夫からの性的暴力など様々です。またその多くの女性が小さい子どもを抱えたお母さんです。限られた期間内で保護し、心身に傷を負った女性たちの健康管理、衛生教育、職業訓練や識字教育など、自立に向けた支援を行っています。

-厳しい現実-
 『ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上』という目標の中に、具体的に「可能な限り2005年までに、初等・中等教育における男女格差を解消し、2015年までに全ての教育レベルにおける男女格差を解消する。」と記されています。正直、私のカンボジアでの活動において教育レベルにおける男女格差を実感することは無く、良く分かりません。ただ"女性の権利を守ろう!"という点においては本当に心から願いますし、そのために少しでも力になれるよう活動しています。
 私たちのシェルターに入居している女性は、一定期間(最長6ヶ月)を過ぎると母子共に社会に出て行きます。これまで何組かの親子を見送ってきましたが、行く先も当てもないまま親戚や知り合いのいる田舎に戻ったり、危険が潜んでいる元の住まいに戻って行ったりするケースが多いのが現状です。
 また、子どもがいる女性にとっては仕事を探そうとすることすら諦めているケースもあります。子どもを預けたくても乳幼児を預かってくれる施設もなく、数少ない幼稚園に預けるためにもお金が必要ですし、預ける時間に合った仕事を探さなくてはなりません。もしくは働くために孤児院に預けるといった所にまで話が膨らんでいきます。これはカンボジアに限ったことではないのかもしれません。しかしさらに女性たちの生活を厳しくしているのが、女性たちの識字レベルが低いということです。読み書きが出来ない女性にとっては夜の仕事に就いたり、極端に給料の安い仕事に就いたりするしかありません。社会に出たくても、お金を稼がなくてはいけないと分かっていつつも、シェルターを出た後のカンボジア社会は冷たく、そして厳しく、仕方なくシェルター入居前とあまり変わらない生活に戻る女性が多いのです。そのために私たちもセンター内に裁縫訓練コースを設け、女性の自立に努めているのです。

東ティモールからの手紙 -142

東ティモールに派遣中の渡邉怜子さんからのレポートです。
2年間かかわり続けた人との別れの中で「支援のあり方」について考え、多くの気付きをもらったようです。

横浜教区大和教会 渡邉怜子

オリビオさん
 AFMETの近くに、オリビオさんは住んでいます。
 約2年前、彼はココナツの木から落ちて下半身不随になりました。まだ36歳、尿道に管を通して排尿し、排便の世話を奥さんがしています。体の大きな人で、頑固で口が悪くて、近所の人からは遠ざけられている様子...。子どもは7人、上は18歳から下は1歳半まで。本当ならまだまだ家計にはお父さんが必要。奥さんはココナツオイルを作ったり、キャンドルナッツという木の実を集めて売りに行ったりしてお金を作っています。でもそれだけではなくて、家では子どもの世話、家事、畑、洗濯、そして、旦那の介護。会うたびに、彼女はやつれていきます。
 私たちがなぜ彼とかかわっているかというと、彼の村はAFMETクリニックの担当地域で月に1度の尿道の管(尿道カテーテル)の交換を私たちがすることになっているからです。初めは、継続性を考えてロスパロス国立病院にお願いしようと思いました。でも、私たちも目で見て知っているのです。彼らに車が無いことも、人材が足りないことも。彼らに任せたら、ケアの質は良くないだろうと思い、継続性のことも考えながらかかわっていくことになりました。彼は、マラリアや下痢、かなり深い褥創、そしてなにより、叩きのめされた父として、男としてのプライド、家庭内での役割の喪失、恥ずかしさ...など様々なものと戦いながら生きています。

 私は彼の家に行くたびに、何ができるのか考えていました。ボロボロのこの家を、建て直してあげたい、車いすに移りやすいように高さの低いベッドを作ってあげたい、月に1度、米と野菜を届けてあげたい、褥創予防のためにやわらかいベッドマットをあげたい...。どれも、日本人の私にとっては大金を必要としない援助です。明日にでも始められます。でも、それではダメなんです。外国人が簡単に金銭面での援助をすることの影響は、計り知れないものがあるからです。例えば私がこれらを実践する。そうすると、近所の住民はもう彼を助けなくなるでしょう。「あぁ、外国人が助けてるから自分たちはなんにもすることないや~。」と。そして、わたしが、AFMETが、いつか居なくなったら彼はどうなるのでしょうか?近所からも放置されることになります。それに彼にはもう一つ弱点が。それは、元気だったころとても悪い人だったということ。人の家畜を盗んだり、すぐに暴力振るったり。こんな状態になったいまでも、彼を知る人は口をそろえて彼は悪い人だというのです。外国人で村の内情を知らない私が簡単に援助などできる状況ではないのです。
 でも、彼を放っておくわけにはいきません。外国人としては一歩引いてみる。でも、人として、やはり放っておくことはできません。じゃあ、どうしたらいいのか?

 考え続けながら日々は過ぎて行きました。ある日、大雨の日。カテーテルの調子が悪いと、彼に呼ばれました。車で彼の家に行くのは大変です。ずごい泥で、四輪駆動でもズルズル滑るほどの悪路なのです。家に着いてカテーテルの交換、それから何か必要な薬は?...久々に彼が起き上った姿をみて、私はびっくりしてしまいました。土気色の顔、ガリガリに痩せてしまっていました。私は、緊急性を感じました。私がグタグタ悩んでいる間に彼は死んでもおかしくない。今は継続性ではなく、死なないために何かが必要な時かも...。でも、その影響のことも後々着いて回るし...どうしよう?

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